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お知らせ2024.03.08

フランスのろう女性史

「フランスにおけるろう女性史」について公開しました。


  

 

フランスにおける「ろう女性史(デフハーストーリー、Deaf herstory)」※1について、パスカル・ジクエル(Pascale GICQUEL)氏にお話いただきました。

 

※1 ろう女性を取り巻く歴史についてまとめたもの。「歴史」を「History(ヒストリー)=男性の物語、男性史」などと表すのに対して、女性の視点から「Herstory(ハーストーリー)=女性の物語、女性史」などと言い換えた「女性史」と「ろう(Deaf、デフ)」を組み合わせた名称。


(以下、動画の内容になります。)


ボンジュール!みなさん、私のサインネームはこう表します。名前は、P-A-S-C-A-L-E、名字は、G-I-C-Q-U-E-Lです。フランスのろう女性たちを紹介します。そしてろう女性の権利にまつわる歴史上の重要な日付とイベントをろう者の歴史と並行しながらお話しします。






1760年、最初のきこえない子供たちへの教育が始まりました。パリで、ド・レペ神父の手によって貧富の差関係なく、教育が施されました。1844年、ついに最初のきこえない人たち同士による婚姻が認められました。それ以前はそうではなかったのです。きこえない人ときこえる人の婚姻は合法でしたが、この年以降、きこえないカップルの結婚が容認されることになりました。1880年、ついにきこえない女性がきこえない人たちの宴会に参加しました。これまで参加できたのは男性だけでした。そういった常識を、きこえない女性ルイーズが打ち破ります。彼女については後で説明します。1907年、ついに賃金を自分で管理できるようになります。1938年、女性の市民権が制限されることを法律が禁止し、自由になりました。1944年、ついに、全ての女性が選挙権を獲得しました。1965年、職業の選択が自由にできるようになりました。夫の干渉から解放されたのです。


198238日、フランス政府が「国際女性デー」を採択します。1975年、ヴァイユ法が施行され、人工妊娠中絶が合法化されることとなりました。IVG (自発的人工妊娠中絶)です。 1994年、テレビ番組L'oeil et la main(目と手)が放映されました。これまできこえない人向けのテレビ番組はありませんでしたが、この時以来今日まで、月に3回放映され続けています。2003年、ろう女性の団体「FSCS」が開設されました。ろう女性の市民権と連帯という団体です。2005年、法律が制定され、教育の分野においてフランス手話が言語として認められるようになりました。2018年、デジタル共和国法により、民間電話リレーサービス「ロジャーボイス」が1ヶ月に3時間無料のサービスを提供開始しました。2019年、「Inouïes」がフランス全土で出版されます。フランスのきこえない女性たちのプロフィールを集めた書籍です。それでは、今から19世紀から21世紀にかけて活躍した女性たちを何人か取り上げ紹介していきます。


最初に登場するのはルイーズです。1879年生まれ、1920年逝去、40歳の若さでした。彼女は類い稀な人物です。詩を書くことをこよなく愛していました。社会活動家でもありました。手話の重要性を社会に訴え続けました。フランス南西部の都市、ボルドーの聾学校で教育を受けました。学校卒業後、協会の活動に積極的に関与し、執筆活動、詩集の出版、これまで男性しか参加できなかった手話の宴会にきこえない女性として初めて飛び込みます。1880年のことです。1912年パリで開催されたろう教育国際会議でルイーズはろう教育でのフランス手話での教育の重要性と口話法での限界を訴えました。なぜなら、当時のろう教育現場にいたシスターの先生たちはしばしばルイーズに、きこえない子どもたちへの手話通訳を依頼していたからです。口話法で教育を受けている子供たちは、口話法での授業内容を理解することができていなかったのです。この教育現場のリアルを、ルイーズは国際会議で証言しました。彼女の勇敢な行動は、会議に出席していた聞こえる人やシスターたちにも衝撃を与えました。激しい批判にさらされ、窮地に陥った彼女を、出席していたアメリカ人のきこえない人たちが援護しろうコミュニティの中のジャンヌ・ダルクのようだと讃えました。パリには2019年から、彼女の名前、ルイーズ・ヴァルサー・ジロールの名前を冠した図書館があります。とても誇らしいことです。


イヴォンヌ・ピトロワについてお話しします。1880年生まれです。1937年にこの世を去ります。彼女は多くの執筆や出版に関わり、名を馳せました。1910年から1930年にかけてきこえない人たちに関わった人や、盲者など偉大な人物たちについて執筆しました。ルイ・ブライユやド・レペ神父、アメリカの元大統領エイブラハム・リンカーンなどです。数多くの書物を残しました。機関誌「小さな寡黙者」を1912年から1937年までの25年間発行し、きこえない女性たちの社会的孤立を防ぎ、交流の機会を提供するために、人生、仕事、家族、イベント、レクリエーションなどの情報を伝達し月に2回刊行しました。きこえない女性たちが仲間同士のつながりを持ち、情報交換できるように大きな貢献をした偉大な女性です。


次は、スザンヌです。1903年生まれ、1996年没、93年の長い人生でした。格別な人です。きこえない女性として初めて博士号を取得しました。1932年のことです。マルリー・レネルという盲目の劇作家についての論文を発表し博士号を獲得しました。彼女はかつてフランス領であった北アフリカのアルジェリアで育ちました。父親が現地の高校の校長先生だったため、一家でアルジェリアに滞在、現地で運転免許証を獲得しました。フランスへの一家の移住後、きこえない人たちと運転免許証獲得運動を展開しました。ついに、1959年ビュロン法(きこえない人たちの運転免許取得を可能にした法律)の制定にこぎつけました。バイクは運転できるのだから車も運転できると主張しついに権利を勝ち取りました。また1940年から1970年にかけてろう協会、FMS(フランスろう連盟)、世界ろう連盟)に関わり、ろう運動の発展に尽力しました。


ジネットです。1919年生まれ、つい近年2010年にこの世を去りました。91歳でした。初めてのフォークダンス教師です。1960年頃のことです。有名なIVT(国際視覚劇場)1977年に設立される前の出来事です。手話ではなくマイムを使っての教師でした。主に振り付けを担当していました。学校を卒業した生徒たちを集めて公演でフランス各地を回りました。手話の価値を社会に示したIVTが設立された後、彼女のグループの公演活動は次第に衰退していきます。彼女のグループはきこえない人の芸術活動を世間に知らせる役割を担いましたが、次第に演劇活動は停滞し、ろうコミュニティから忘れられるようになりました。ある大学の研究調査によって、彼女の存在が再び知られることになりました。その時には、彼女はもう人生の晩期に差し掛かっていましたが、取材に喜んで応じ、歩んできた軌跡を残すことができました。2010年、この世を去りました。


ローズマリー(サインネーム)です。1932年生まれ。89歳ですが、今なお元気で南フランスに住んでいます。大変な社会活動家で、ろうコミュニティに多大な貢献をしています。フランスろう連盟の会長を1976年から1981年そして1986年から1993年にかけての12年間にわたって務めました。口話主義者です。1991年に口話法か、フランス手話と書記フランス語のバイリンガル教育のどちらかを選択できるようになった、ファビウス法の制定に尽力しました。それまではまだ手話は社会に認知されておらず、口話法だけでした。2005年さらに前進し、フランス手話が法律に言語として明記されることになりました。宣伝広報活動、政府への文書の作成など、ろうコミュニティに甚大な貢献をしました。


フランソワーズ(サインネーム)です。1939年生まれで83歳の今なお、健在です。疲れを見せずバイタリティに溢れています。いまだにろうコミュニティに多大な貢献をしています。3冊の本を出版しました。2冊の本の下書きはすでに1970年代に執筆を終えていましたが、出版には至らず保留になっていました。彼女の娘が、記録を残す必要があるのではと提案し、再び加筆修正を加え出版にこぎ着けます。 2017年処女作を出版しました。続いて2冊目3冊目の本を上梓(じょうし)しています。3冊目の本は1974年のギャローデット大学への留学についてです。またECHO誌の編集長でもあります。


イザベル(サインネーム)です。1993年から2008年までの15年間、ろう女性として初めて、フランスのろうスポーツ連盟(FSSF)の会長を務めました。2008年、経済的な理由のため、FSSFは倒産しました。現在は一般のスポーツ連盟の傘下にあります。また、初めての女性として、2004年から2010年までの6年間 、ヨーロッパろうスポーツ組織(EDSO)の会長の任にも就きました。彼女の前に女性で会長に就任した人はいませんでした。国際スポーツ界への貢献が評価され、フランス共和国より国家功労勲章を受勲しました。



エマニュエル(サインネーム)です。彼女はろうコミュニティへの橋渡し的な存在です。1993年に舞台「沈黙への子供たち」の作品でモリエール賞を受賞し、多くの人の知るところとなりました。彼女の受賞はテレビで授賞式を視聴していた多くのろう者に感動を与えました。聞こえる人たちにも、きこえない人に着目するきっかけを与えました。モリエール賞受賞を受けて、L'œil et la main というろう・難聴者向けのテレビ番組が1994年にスタートしました。今日、IVT(国際視覚劇場)の責任者です。フランスのろうコミュニティにおけるシンボルのような存在と言えるでしょう。


ノエミ(サインネーム)です。フランスの若いろう女性の中でも、存在感を発揮しています。コメディアンでしたが、方向転換して、リアルタイムのフランス手話とフランス語字幕による、2言語でのインターネット放送番組「Média Pi」を立ち上げました。2018年設立、有料の会員制サイトです。


マノン (サインネーム)です。若い女性です。きこえない女性として初めてのアクロバット飛行パイロット資格を取得しました。たくさんのスポーツや体操に秀でていましたが、15歳の時に、人工内耳の装着により、体操を断念しました。飛行機操縦に一点集中することにしました。また理学療法士として、スポーツ専門の個人の診療所も開所して仕事に従事しています。弱冠27歳ですが、素晴らしいキャリアを持っています。



ロール(サインネーム)です。きこえない女性として初めて、GEPS(ジェンダー、平等、社会政策)などをフランスで唯一、同学科のあるトゥールーズで学びました。男女間のギャップについて研究しました。世界ろう連盟青年部 ( WFDYS ) の理事でもあります。


Inouïes」、テキストと写真の掲載されたビジュアル重視の書籍です。38人のパワフルな女性たちが出てきます。テキストの中にあるQRコードをスマホで読み取ると手話動画が配信されます。それぞれの女性たちが10分ほど手話で語る、フランス手話とフランス語の2言語のバイリンガル書籍です。これまで、ろうの男性の活躍ばかりに焦点が当てられ、ろうの女性たちには注目されることがなかったのですが、この本を出版したことで彼女たちにスポットライトを当てることができたのです。それぞれの女性たちの証言は「女性」か「ろう」のアイデンティティのどちらによりウェイトを置いて自己認識しているか、とても興味深いです。


さて、これからアソシエーションについてお話しします。FSCS (サインネーム)、F-S-C-S. 「ろう女性の市民権と連帯」ナディアにより2003年設立されました。女性の暴力被害者や心理的な苦痛を訴える人が訪問するようになってきたため、相談機関を設立するに至ったのです。現在の代表はシルリー・トン・ゴンです。2006年以降毎週金曜日、受容、傾聴、相談、付き添いなどをしてサポートしています。女性の権利に関する情報拡散や暴力反対を訴えるなど、精力的に活動しています。



Caféministe、つい最近、20222月にオープンしたばかりです。毎週金曜日、さまざまなテーマにわたって集い語り合う場です。意見交換できることが大事です。







Droit Pluriel 、多元性のある法律という協会についてです。2018年に設立されました。代表のアンネ・サラ・ケルチュドは元々はろう者で法学者でした。パリ市役所の中のセクションでたくさんの人のサポートに携わってきましたが視覚が徐々に低下していき、退職せざるを得ませんでした。方向転換して、協会を設立しました。現在、ろう者や障害者の法律問題の支援や相談に関わっています。




SOS Surdus 心理カウンセリングの機関です。ろうの心理学者が2019年に立ち上げました。遠隔オンラインやスカイプなどで心理的な問題や苦痛、孤独感などを無料で傾聴しアドバイスや支援などのサービスを提供しています。ボランティアスタッフばかりでしたが、事業が波に乗り、雇用者を増やしています。代表はろうの女性ヴァージン・デニスです。






プレゼンター:パスカル・ジクエル(Pascale GICQUEL)

フランス手話 – 日本語翻訳:ルシル塚本 夏子(Natsuko TSUKAMOTO-LESSIRE)

編集:小林 洋子

 

2021年度竹村和子フェミニズム基金

「ろう女性史(デフハーストーリー、Deaf herstory)に関する調査研究

 〜 手話言語による自分史語り・ダイアログを通して 〜」(代表 小林洋子)に基づく成果の一部です。


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