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インタビュー2018.02.09

米国留学から考えたキャリア 〜映画出演を通して〜 川俣 郁美 氏

プロフィール

栃木県宇都宮市出身。3歳の時に高熱でろうに。日本財団聴覚障害者海外留学奨学金事業5期生として米国に渡り、ギャローデット大学ソーシャルワーク学部卒業。その後も同大学院行政・国際開発専攻修士課程に進み、修了。現在は栃木県聴覚障害者協会青年部の事務を務める傍ら、全日本ろうあ連盟スポーツ委員会国際事業部委員も務める。また、日本財団ソーシャルイノベーション本部にてアジアの聴覚障害関係事業のコーディネートもしており、多方面で活躍中。

 1月24日水曜日に行われた上映会と講演会の後、川俣郁美さんにお時間をいただき、帰国後の変化と仕事、撮影の裏話など、講演会では触れなかった内容を中心に聞いてみました!


Q.先ほどは、講演ありがとうございました!
お話の中にもあったように、川俣さんにとってのこれまでの人生の転機は米国留学だと思うのですが、そのきっかけは何なのでしょう?

 米国留学中、自分にとっての大きな変化がたくさんありました。その米国に興味をもつきっかけをくれたのが、中学生の時に出会った、高村真理子先生(当時の筑波技術短期大学英語非常勤講師)です。当時の自分はまだろう者としてのアイデンティティが未熟だったのですが、高村先生は非常に明るくて、手話を使って話す姿は非常に楽しそうだと思ったのです。その高村先生に惹かれて何度かお会いしていくうちに手話を覚えるようになりました。米国のお話も聞かせてもらいましたが、英語が苦手だったので、その時はあまり興味がありませんでした。高校生になって米国で学んでみたいという夢ができた時に高村先生の話を思い出し、留学を決意しました。彼女に出会っていなかったら、留学を諦めていたし、今の私が無かったかもしれません。米国の情報をいただけたのは、本当に感謝しなければならないと思います。


Q.英語は苦手だったとのことですが、どのようにして身につけたのでしょうか?

 高校1年生になるまで、英語が嫌いで授業もほとんど聞いていませんでした。しかし、自分の夢のためには英語が必要だと確信してからは、授業にも真面目に取り組むようになり、分からないところがあれば友達にノートを見せてもらったり、授業が終わった後も休み時間と放課後を使って先生に個別に指導をいただいたりしました。また、親に留学をしたいという話をしたところ、留学に必要な書類や留学先の資料、願書などの英語を全て日本語に翻訳したものを用意して見せなさいと言われ、20~30ページほどのものを翻訳しなければならないということで、授業中も翻訳に夢中になったことが、英語を身につけるきっかけになったのかもしれません(笑)。


Q.なるほど(笑)。米国留学が今の生活にどのように活きているのでしょう?

 米国で、ろう者としての自分に目覚め、帰国してからはもっと日本のろう者との関わりを持ちたい、ろう者が暮らしやすい社会にしたいという想いが大きくなりました。留学前は、きこえない人たちの会話についていけない時などは寂しい気持ちになりしましたが、今は逆に自分から筆談をお願いしたり、ろう者や手話のことを周りに伝えたりして、自分からコミュニケーションをとるようになりました。手話を知らない人にも、積極的に手話を使いながら話をすることで、自分の周りで手話に興味を持てくれる人が増えていきました。このように、自分から手話やろう者の魅力を周りに伝えられるようになった、身近なところから変化を起こせるようになったということが大きいですね。


Q.米国でソーシャルワーク学部を専攻されていましたが、日本でその内容をどのように生かしたいとお考えですか?

 米国で学んだソーシャルワークは、クライアントが社会に参加する時に直面する壁を突破する、または避けるために必要な方法について、社会資源と繋がって解決策を提供する、法制度を整える、不利な状況を無くすための活動もします。個人個人の援助だけでなく、コミュニティレベルの支援も含まれています。

 まずは、地元栃木のろうコミュニティに対して、多方面からの支援が展開できたらなと思っています。今すぐは難しいですが、地道に少しずつ道が開けたら良いと思っています。


Q.やはり、米国社会と日本社会とでは、コミュニティや福祉、法制度も全く異なるので、日本社会を学んでからになるのですね?

 そうですね。まずは、地元の栃木の課題や強み、そして行政の仕組みや社会支援を深く知るということから始め、地域の活動にも積極的に参加して、地域の特徴に合った方法で周りの人の協力を得ながら取り組んでいければと思っています。


Q.現在はどのようなお仕事をされているのでしょうか?

 実は、昨年転職したばかりなのです。現在は日本財団のソーシャルイノベーション本部というところで、アジアの聴覚障害関係事業のコーディネートをしています。手話を普及させるための辞書や教材を作成する事業や、ろうリーダー育成のためのバイリンガル教育事業の支援を行っています。もちろん、地元栃木での活動は続けています。活動もしながら、いつかはと思っていた国際支援に関わることができて感無量です(笑)。


Q.以前はどのようなお仕事をされていたのですか?

川俣郁美さん 障害者の就労支援を行っている部署がある地元の総合人材サービス企業に勤めていました。配属 になったのは、ソーシャルワーク等とは全く関係ない一般事務が業務の部署でした。社会経験が なかった私ですし、聴覚障害者に多い職種でもありましたので、今後支援する側になった時に良 き理解者になれるよう、経験してみよう、そして自分が配属する部署からバリアフリー化を進め ようという気持ちで始めました。 入ってみると良い人たちに恵まれ、手話にも興味を持ち、覚えてくれました。毎朝の朝礼で手話 タイムを取り入れてくれ、私が作成した「今日の手話」を司会が発表します。その司会は毎日持 ち回りで代わるので、皆少しずつ覚えていきました。普段のコミュニケーションは筆談でしたが、 「わかりました」「なるほど」等と私は手話を使って返事をするので、その都度、「この言葉はこう表現するのね!」「こういう意味なのか!」「そうそう!」という会話を繰り返していくうちに、周りが手話を少しずつ覚えてくれました。そのように手話を覚えてくれた温かい職場を離れるというのは寂しくもありました。


Q.良いですね。そのように手話をきこえる人のコミュニティにも持ち込んで、積極的に参加しようとする姿勢は、米国での経験が大きく影響しているのかもしれませんね。

 そう言われてみれば、そうかもしれませんね。

 前の職場は社内の連絡手段は電話によるものが多かったので、入社した時に電話ではなくメールによるやり取りを希望したところ、メールによる連絡が増えました。メールは記録に残るため、私がお願いした内容が結果的には、社内全体での情報共有や連絡に良い影響をもたらすことができました。また、遠慮せずに手話を常に使って、「おはようございます」「お疲れさまです」の挨拶を毎日繰り返しているうちに、皆が自然と使ってくれるようになり、もっと手話を学びたいと言ってくれる人が増えました。自分に必要な支援を積極的に話すことで、逆にそれが皆の気付きとなり、職場全体の環境を良い方向に変えることにも繋がったりするので、お互いに仕事がしやすい関係を築くことができたのではないかと思います。


Q.ろう者が求める支援によって職場環境が良くなる話はよく聞きます。そのような影響を与えることのできるところがろう者を雇用することの強みですよね!
映画の話になりますが、「段また段を成して」の見所は何でしょうか?また、どんなメッセージが込められているのでしょうか?

 今の生活を当たり前にできていることの背景に、昔の先輩たちとその仲間の努力があってろう者にとって不利だった法律の改変があったというところですね。当時の話を聞いていると、自分たちも一人ではできないけど、仲間と力を合わせれば不可能はないということが分かります。また、手話の映画はまだまだ少ないので、手話を母語とする人たちが気持ちよく見ることのできる映画がもっと増えてほしいとの思いもあります。


Q.今回の映画には、時折音楽が流れていましたが、それはきこえる人たちにも見ていただきたい、楽しんでもらいたいという願いのもとでしょうか?

 よく気が付きましたね。そうです。

 手話の場面では音声がなく、字幕で出していますが、電車の音、背景に映っている情景に合わせた音楽を付けています。きこえる人の場合は、無音の映像は違和感があって落ち着かないからだそうです。

川俣郁美さん 長野県のとある市のろう協会会長から聞いた話では、市議員対象に上映会を行ったところ、初めは殆どの方が無音に落ち着きがなかったが、時間が経つにつれて少しずつ映画の世界観に引き込まれて涙を流していた者もいたとのことです。上映が終わると、手話は必要だ、他の市議員にも見てもらうべきだという声があがり、後々その市では2018年度から手話言語条例制定に至ったそうです。その話を聞いて、自分が出演した映画が持つ影響力の大きさに改めて嬉しく思いました。

 きこえる人たちには手話の必要性とろう者がこれまでに受けてきた差別に対する苦しみを知ってもらい、一方できこえない人たちには仲間と力を合わせれば今は不可能と思われていることも可能に変えることができることを知ってもらう良い機会となることを確信しています。そのことを次世代に引き継いで、ろう者の明るい未来に繋げることが必要だということを理解していただけると嬉しいです。きこえるきこえない関係なく、多くの人に影響を与えられる、そんな素晴らしい映画ではないかと思います。


Q.その映画の出演に向けて、手話の表現力を磨かれたと思いますが、その裏話を是非ともお聞かせください。普段の川俣さんとの違いに驚きました(笑)。

 ですよね(笑)。

 今回時間が無くて触れなかったのですが、手話の表現には大変苦労しました。手話を自然な表現にするために、日本手話研究所の高塚稔さんに手話指導をお願いし、撮影前の打ち合わせで表現の確認と練習をしました。この日本語が表すことは分かるけど、手話ではどのような表現になるかな…という話し合いを繰り返しながら、幾度か練習を重ねました。改めて完成した映画を見ても、自分の手話がキレイだなぁと感心してしまいます(笑)。また、映画を見た人から、「映画では丁寧でゆっくりなのに、普段は早いのですね」と言われ、さらには普段から私を知る人は「え、これ郁美?」って笑うことがあります(笑)。

 その丁寧でキレイな手話は、監督と手話指導担当者の丁寧で細かいご指導があってこそです。


Q.そのキレイな手話を見て、きこえる人たちの中では手話に魅力を感じた、良いイメージを持った方もいらっしゃるのではないのでしょうか?

 確かに、映画を見たきこえる人の中から、手話はキレイで良いねと言っていただいたこともあります。普段から映画のような素敵な手話表現ができるよう、今後とも努力してまいります(笑)。


Q.今回の映画出演を通して、今後、ご自身がやってみたいと思った活動はありますか?

 自分の地元である栃木では手話言語条例制定はまだです。日光市では2018年4月に制定される予定ですが、その他の市町村ではまだ進んでいません。また、県では障害者差別解消法もスタートしましたが、その影響がまだ見られないところもたくさんあります。

 特に栃木は全国的に見ても、改善の余地が多くあると感じます。今後の動きとしては、障害者差別解消法が効果的に施行されるように、地元のろう者や他の関係団体、行政等と話し合いながら少しずつ確実にバリアの無い社会になっていけばと思います。そのためには、栃木県聴覚障害者協会の組織を活性化させることが必要です。地元で活動しながら、関東や全国、国際レベルでの活動も行い、トップダウンとボトムアップを同時に進められたらと思っています。上から学ぶこともたくさんあるので、上から得た知識を下に伝え、下のためにその知識を活用するということを上手くできたら良いと考えています。

 また、栃木にはろう者のための施設がありません。ろう協会、聾学校、情報提供施設はありますが、A型・B型就労支援施設や塾、デイサービス、老人ホーム等はまだ無いのです。最近、一戸建ての1階を借りて、「ふくろうひろば」というろう者が集まる集会所ができましたが、事業化へは至っていません。手話が使える職場・場所を栃木にも増やすためにまずは「ふくろうひろば」の事業化に向け、頑張りたいと思います。


インタビュアー:門脇 翠(ろう者学プロジェクトスタッフ)

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